ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

養生実験

hotomo92019-01-23

この月は養生と名目を立てて、ここぞとばかりに実家、姉夫婦、渡邉家、林家と4つのお宅にお泊まりをしました。更には、お正月期間で色んな人に会うので、薄々気づいてきた、主には心のクセを「あえて意識して声に出すとどうなるか」を実験してみました。そのクセはあまりにもありすぎるし、その時その場で「ここ!」と感知して発動するのため、ほぼ覚えていられないのですが、結果としては「あー、こういうのがガン(病)になるってことだ」に至りました。まだまだポロポロ出るけれど、いい確率で直前に違和感になるようになってきて「今までを防御してくれていたんだろうけど、もうバイバイしていい、そぐわない」と心底思える位になりました。

わたしのことすら未知で、未知のことを知る発見や体験は楽しいです。ただ、言語処理能力を育てることを後回しにしてきただけあって、言語化しきれないことも含めカタコト過ぎることが多々あります。特に、聞く、に傾倒していると、話をふられてから、話す、への切り替えがなかなかむつかしい。相づちすら打てないくらいむつかしい。反射で反応できることもありますが、聞きながら返信をほぼ直通で考えられるとか、芸のひとつだと思います。

お泊まりしたお家のひとつ、友人であり施術者仲間でもある渡邉家のおふたりは、恐ろしい位わたしのことをわたし以上に的確に言い当てるので、行きのリュックはすっからかんでも帰りにはみっちみちになっていて、会う度に修行のようです。

出会ったのはもうずいぶん前。

あるワークショップに参加した時のこと。ワークをリードする人に「ペースが乱れるので席を外して」と言われたことがありました。今ですら社会になじめているとは言えないけど、それなりに図々しさは身に付いてきて、そのペースが乱れる感じ、わたしがいることの作用はよーく理解しているし、場合によってはその人に、なんのこっちゃと言えるけれど、その当時はリスクだらけで外に出始めたひきこもり全盛期。それはそれはガガーンと落ち込みました。今何が起こったんだの放心状態で横になっていたところに、渡邉家のおふたりはサラッと言ってくれました。「あなたは人を戻してしまうところがあるだけよ」。そのひと言で何が起こったかの全体がまとまって、初対面なのに抱きついてワンワン泣いたその時から、その作用を許せるどころかコントロールしようもない類いのものではありますが、許せるようになれました。

力わざでなく、多くの時間を過ごしてこうなった訳でもない。どういう訳か作られていった流れの決められない計らいのようなものをおふたりから感じました。

おふたりは、はた目から見てて、いいね!と感じられるほど、お互いに対するこうありたいが現れていたり。「見た目が一等好き!これはわずかの遺伝子とほぼ本能!どうしようもないっ」て言えたり。わたしのことを、これでもか、これでもかとこっぴどく言い放っているけれど大切に思ってくれている感じとか。そんな敬愛するおふたりに、あえてのクセを発動させたらどうなるか、をしてみたところ、言いきる前にガンガン一撃をくらってとってもおもしろかった。「きっとこれまでも瞬殺されていたんだろうけど、通り抜け防御装置を瞬間よりも早く起動させていたんだなあ。これに気づくと、防御装置を起動させない方が生きてて死なないもんだなあ」そんなふうに。

もうひとつは里山、沼代の林家。お百姓さんのお家です。林家は人が集まってくるお家で、季節柄さらにたくさんの人と会えました。そこにちびっこが加わると大抵ちびっこにおもちゃにされるのはなぜだろう?全身で表現させられちゃって、へとへとになるけれど元気になる。スポーツやライヴ、映画や舞台なんかもそうなる傾向があり空気が読めなくなりますが、ちびっこがダントツ直談判で容赦ない。

林家に行くときもけっこう修行。農作業はちんぷんかんぷん。猫の手以下と自覚しているけれど、それでも出来る限りのことをする、の心意気。ぺーぺーのぺー過ぎてぺーの疑問を聞いてもいいのか?って思うことばかり。それでもこたつやごはんを思い出して、しくじっても出来る限りのことをする、の心意気。

沼代の林家を通して、今まで会ったことのないタイプのたくさんの人と会える場所では、「それぞれの個性でその人のできることがあって、この部分はこの人がいる、という人がいてこそで、上とか下でなくどれもがあって、自然とそうなっていったそれぞれのスペースで場が創られているんだなあ」。そんなふうに、つくづく感じられました。

二宮に住まいが移り、そろそろ引っ越すか更新かの時期が近づいています。引っ越し好きのわたしですが、あと2年の更新を決めました。単純に昨年は自分に投資しすぎて引っ越せない、というのもありますが、1年に1度か2度、それ以上空いたりしながら訪れていた沼代が近くなり、二宮に移り住んだ今では、1年に両手でも数えきれないほど訪れています。里山の魅力はもちろんのこと、林家をはじめ、「この関係に名前をつけようというのですらなく、今日はいないけどきっと生きているだろうし、いなくても生きているだろうし、放っておいてもまた会って、「いる」という心のもとが積み重なっているんだろう。その作用には逆らえないなあ」というのが1番の理由です。

そんなこんなで実験終了ー。ぐずぐずでも順風満帆?を体感。あとほんの少ーし、甘ったれ養生を満喫します。