風のとおり道
真鶴は風の通り道。毎日、毎瞬が風の日。風が記憶の情報を運んでくる。
その風がひとたび顔に吹かれると、まるで鳥になってしまうような風。
その風がすきまを通りぬけていくと、まるで草木や葉になってしまうような風。
半島の先にある御林の香りはグラデーションで色彩豊かにやってくる。
香りの記憶をたどってたどって。道なき林道も照葉樹が道標。
御林をぬけると海岸へ。
白波の立つ海と強い風、冴えた晴天が碧い島をもたらします。
音の周波数には意味があるというより、それぞれの記憶にふれる導きのようなものがあるのだろう。
言葉には記憶が含まれるから、言葉にふれる時は音の記憶をたどるように聴いたりする。
聴こえないふるえを現すために、聴こえる音にする。
音のふるえの導きは、空の大気のふるえが碧い島をもたらしてくれたように、瞑想の質をもたらしてくれる。
1人1人に今、何が起こり、それに気づき、
全体のさらにぜんたいの空っぽにいると、静かな創造性が生まれだす。
その創造性はのりきっていく力となり、新しさをみつける力になってゆく。
創造性が身体を造り、そこからあふれだす揺らぎとふるえは、見えなくとも、聴こえなくとも、記憶を含んだ色を帯び、記憶を含んだ音となる。
そうすると
みえてくる