OCIKA
ちょうど1ヶ月程前、さっちゃん(姉)がやってきた。
その日は暑くもなく寒くもない、まっさらな青空の日で風もそよ風。
波乗りサーファー達はぷかぷかーと凪の波と一緒にいた。
今となってはつい先日まで雨の降らない日を探すことの方が難しかったから、貴重で貴重な、まっさらな青の日だった。
さっちゃんとは5つか6つ位の年の差があって、(確か私が小学校1年生の時小学校6年生だった気がする。)幼い頃の5つ、6つの差は大きく、さっちゃんは手も足も出ないほどお姉さんだった。
年月を経て年の数は消えていき、お互いを「個人」として一緒にいるような。けれども生まれもっての関係のまま一緒にいるような。
家族であり、血族であり。
初めて会った人のようでもあって、懐かしさを覚える人でもある。まさにまぜこぜの人である。
まっさらな青の日、さっちゃんから「OCIKA」のペンダントを頂いた。
それは鹿の角に、漁で使う漁網の糸をかけているましろなペンダント。
私はアクセサリーが実は苦手。
ピアスはOKでも、ネックレスやリングをたまにつけた時、帰宅するとなぜだか真っ先にはずしてしまう。
けれどもさっちゃんから頂いたそれは、見た瞬間、手に取った瞬間に嬉しくなって「ありがとう。」と言っていた。
それ以来ほぼ毎日つけている。
軽くてつけていることを忘れ、糸に引っ掛かった私自身が水や魚になることもしばしば。
そう、先日のイベントにもつけて行った。
「七つの鐘」だけで、つまりは「音叉をセッションメニューに入れないことは、私に何を与えてくれるだろう……」そんな気持ちを抱きつつ参加をした今回。
やってきたのは、言葉を使うリアリスト。声と言葉という、音を共有するリアリストになっていた。
気づいていなかったけれど、今の私にとって「しろ・シロ・白」は私をグラウンディングさせてくれる色らしい。
「しろがグラウンディングって」と頭は言うけれど、いろんな層の接地面が増えるのだから、そうなんだ。
疑問ではない「なんでだろう」や「これはなんだろう」はいつもある。
その応えを他の人がサラッと置いていってくれるのはなんですか。
さっちゃんのペンダントと「七つの鐘」を共有してくれた方々に、この場でも感謝をのせたい。
地球をぐるっとひとめぐりした後にあの日を思い出す、
まっさらなありがとうの感謝を。