お金の見え方
近頃、七つの鐘のセッションで「お金」にまつわるフレーズをあてはめる方の多いこと。
これはきっと私の「お金」に対する見え方が変化したからではないかなと。
折に触れ、この問いかけを使いお金について見ていたとき、私にとって、
お金を失う、減ってゆくことが不安だと思っていたそれは、実のところお金を得るということに不安を抱いていたことに気づき、
お金が叶えてくれていると思っていたそれは、私が叶えようとしなければ、お金はやってくることも、流れ、動き出すこともできないのだと知っていきました。
1000が100より大きいのは事実で、それでいて1が100より小さいとは限らないから、背景と想いにまっさらな創造力をのせる。そうして自分を大きくも小さくもさせずに「いい感じ」がしたなら、堂々と自由に動いていかせる。
とはいえ、気になる……となっても全体とのバランスが調っていたなら、つまり「いい感じ」がしていたなら、堂々と自由に動いていかせる。
「わたしをより動きやすくさせてくれるもの」というスペースにいられるようになってからは、見え方が変わっていきましたし、見え方が変わると使い方が変わっていきました。使い方が変わると私はとっても動きやすくなりましたし、お金もやってきてはよりよく動いてゆくようになりました。
その現れが見えてきたときに、 叶えたかったことに気づくこと、よくあります。
こう使いたいと思っていてもなぜか留まっている時には「そうきたかーー」というような、思っていたそれとは変化した形でその時がふいにやってきたりもします。それは帳尻が合うと言うよりも、暮らしに心愛っている新しい何かが生まれるというイメージです。
予定していたよりも多く動くことがあれば、予定していたよりも動きの少ないこともあります。そのどちらにしても思いとどまることなく、暮らしに心愛って動いていかせるようになったことはとても大きな変化ですね。
暮らしは小さくシンプルになっていて、その小ささを「豊かなもの」として暮らせているのもとても大きな変化ですね。
お金は社会のしくみですから所有できるものではなく、どんな社会へ向けて動かしていくかという私の反映です。
私の心の動きをそのまま見せてくれるもの。
私にわたしへ向かうスペースを与えてくれるもの。
忘れないようにしたいのは、想いをのせ、変化させるのは「私」。
お金も瞑想そのもの。
今はそんな見え方をしていて、耕しながらこの調子でいこう、と思っています。
七つの鐘は誰かや何かを頼りにせず、自分の言葉で心の動きみることができるセッションです。想いの背景が表に表れ、それを目で見て、声で聴くことができます。
このセッションもまた、シンプルとはなんてダイナミックなんだといつも感じさせられます。
これはどうしたものか?というような、1人では堂々巡りしている何かがある方、ぜひどうぞ。