ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

おーい!

hotomo92018-12-28

先日、私は救急入院をしまして、どうにも見た目にはあまり反映されていない、かっ飛ばしてしまう性質を改めて、つくづく自覚させられました。
今回は身体がついていっていないことを重々承知で、だからこそここまでは、と思っていた期間を2ヶ月も前倒ししたにも関わらず、はい、ここまで!が起こり、なおさらです。(絶賛養生中。)

細菌やウイルスの場合、身体は風邪をひくとか、お腹をこわすとかで教えてくれるのでありがたいなーと、思います。
片や、心や意識はそうはいかなくて、引っかけ問題を出したり、惹かれていることはサッと通りすぎたり、何か代わりのものに変更したり。気づくまでサインを出し続けてくれているけれど、気づかなければ意識に上がってこなくてサラサラこぼれていきます。(そこにうん○があっても気づかなければ無いのと同じ理論。)ただ、どんなに小さくてもチカッとしたならドンドン集まって浮上してくる。そこまでがけっこうやっかい。

前にわたしの時間軸に少し触れましたが、わたしの場合、そのスペースにいるときは、何かをおっくうになったり後回しにしていることがあっても、落ち着いた頃にスッと再開して区切りなくいられます。
それがゴテンゴテンになってくると身体本体の動きが如実に、それはもう如実に鈍くなります。
心はなんとかゴテンゴテンにとっていい方に軌道を乗せようとして、遠くにあるすぐ近くで、そうじゃない、こうじゃないって気づいてる。

退院後、これがスムーズだとどんなにヘトヘトでもご機嫌さんでいられたことを2つ見つけました。
ひとつめは、ごはんを自炊して、ふたつめは洗濯した洗濯物をその日のうちにたためていること。
今日は動き回っていて自炊ができなくて洗濯物をたためていないなあ、まあ、いいじゃない、と、たやすく収まってしまうこともあるけれど。それでも気づくと優先していたことは、ごはんと洗濯物をたたむこと。
わたしは料理が得意ではないし洋服のおたたみもお披露目できるものではありません。
料理はまず手際よくなんてできなくてあたふたします。思いつきの一味や具材が功を奏するときもありますが、料理本を見ているのに斬新な味付けになったりするのはなぜだろう。それでも、気に入っている調味料を使っていると、なんとかそこそこのところにたどり着けるようになってきて、なにが出来上がってもなぜだか嬉しい。
洗濯物は自己流基本のたたみ方があるものの、どういう訳かアレンジしたくなっちゃって、同じものをたたんでも、今回は四角、前回は長方形だったりするし、そういうことをしているので、わぁ、こんな時間!になっていたりすることもしばしば。それでもなぜだかご満悦。

その、それだけのことをしたくて、にも関わらず、この2つ以外の好条件のようなものがスッと入り込んでくると、これもいいわー、なんて、すぐグラグラ。それでも、またこの2つを思い出せたら今までしてきた事とか、できることとかをスコーンと飛ばせてもとに戻る。そのままグラグラのときはループループの世界へようこそ。これが義務ややらなきゃになってきたときも何かを拾っちゃったとき。

少しのグラグラするところでいいのかな、これでいいのかなと思っていたりするけれど、これでいいのかも。揺るぎないもののところにいると、揺らげないし。そうすると、うるしやさんの人参と近所の魚屋さんもそうだな。忘れて買っちゃうときとかあって、その度に思い出す。思い出せたらまずまずいい調子。

茶化したり、ごまかしたり、照れて、飲み込んだりして、そうして揺れて、やっとやっと気づけても、また、そうじゃないって言ったりするとか。
寝っころがりながら星の位置を眺めて目視して、流れにのってる、かと思っていたら、進まないバタ足をしてたなーとか。
最小限にしたはずなのに大打撃して思い知るとか。心を落ち着かせようとして、ひとまずの答えや予想はたいてい勘違いや早とちりとか。

それでも、生きてて動けたら、いつでもここから。そういう揺らされちゃうものに揺らされるだけ揺らされて、それに委ねて漂えたら、花まる。

わたしには今、そのときを待っている人がいます。今日、ロピアヘいく近道の、お一人様のみ通行可の橋幅、冨士山スポットで思いがけずのボリューミーボイスで、口の横に手も添えちゃったりして、オーイ!とその人に呼びかけていました。きっと、委ねて、委ねていられたんだろう。ただただ振り子がポーンと返ってくるように、わたしの意思を通過せず、その人に呼びかけてしまったんだろう。

そうしたら、身体を動かせない、声も発せられない、お会いしたことのないその人は、なんと、ちっとも待ってなんかいなかった。会ったことのないわたしにも、待ちくたびれちゃったよ!と、耳の奥の方の、声にならない声になって返ってきた。

花まる。