自分の持つ力の中にいればいい
本日は穏やか。幸せというより平和。
節分の昨日までは「自分の持つ力の中へ……」がテーマの方がよくよくいらっしゃった、というより登場した、という方が近い。
感情は自分でコントロールできるようで、外の状況や環境で動かされていることがほとんど。
だから感情を軸にすると右往左往したりジタバタあたふたしたりすることになる。
ただ、それも何かと関わろうとして起こっている「生きていることの証」の様子。
感情が動かされてしまう「衝動」は、
まさに生命力の発端からきていて、私には、
存在自体はとても地に足がついているように感じられる。
「どうしようもない」っていい反応。
そこには自分の持つ力の限界を感じて起こり始める「どうにかしたい」殻破りが隠れているから。
否、隠れてなんていなくて、猛然とアピールしている反応だから。
音を扱うおつとめをしていると、音は、外の状況に左右されないエネルギーの素へあっという間に連れていってくれるなと思う。
私は貴方が自由で自在に動き始めるスペースをしっかりと護ることに私の存在を置き、
貴方はあなたの持つ力の中にいて、自ら起こし始める。
始めは這いつくばり、力み(りきみ)たっぷりで現れていたそれが、
少しずつ静かに小さくなり、何もすることがなくなった時、
「こんこんと湧き出でる源泉への信頼」が呼び戻される。
そんな繰り返しの日々。
「とーーっても癒されて、また一つ大事なことも知れました」
それを聞いて、しんそこ嬉しい。
そこにいて、そこにいるだけという集中力は並々ならない。
貴方も私も色んな背景を抱えたまま、何度もやって来る波風とともに自らを呼び戻す作業でもあるから。
貴方のスペースを護るということは
私にスペースを与えること。
自らの持つ力の中にいるためのスペースを創り、いつでもお待ちしています。
どうにもならなくなった時こそ、ぜひぜひどうぞ。
年女がお豆を撒いたスペースは福がくるらしいー、ですよ。
立春の日。