幾星霜
ひきこもりだった私が、生きていることを知るために徐々に外に触れ始めたころ、引っ越しのきっかけとして3・11の震災は力強く私を後押ししてくれました。
慌ただしくこの地に着いたのもつかの間、引っ越してすぐに2ヶ月近く目がつかえなくなりました。
まだひきこもっていたい気持ちにはウソはつけないものだなと思いはしましたが、
だからと言って目が使えないというのは何ともハードルが高いでしょう。
けれども今、音の響きを扱うことになっているのは、お陰様でこの出来事があったから。
だからと言って、思い返してみても目が使えないというのは何ともハードルが高いでしょ。
治ると言い聞かせても治る気配はまったくなくて、お医者さんもギブアップをするそんな日々。
それでも私を何とかつなぎとめる「頼り」となっていたものは響き(振動)と色でした。
幼いころの話。
保育園時代は、いわゆるオーラがバシバシ見えてしまう子でありました。
けれどもそれをどの様に扱っていいのかはもちろん分からずにスクスク育ち。
保育士さんが朗らかな笑顔でいても、漂うエネルギーの色(オーラ)は暗さが強かったりするものですから、幼心にそんな状況をスルスルスルーと口にしては、むしろ戸惑わせてしまったりすることしばしば。
そんな周りの雰囲気を察知して、必要ないとフタをしていきました。
あったことも、なかったことにし続けて幾星霜。
再び封が開かれたのは、目が治りはじめてきたころのことです。
あの頃のようにオートマチックでバシバシではありません。
あの頃と比べたらカケラを何とか拾い集めているようなものです。
けれども響きが色に変わってオーラを見ていたのだと言うことは、カケラを拾い集めて気づいていったこと。
パワフルさ満載で取り扱い不明のあの頃には気づかなかったことです。
(音が色に変わることを専門用語だと共感覚というそうです)
私が音を扱うことになっているのは偶然ではなく、(10年以上続けていた前職からいきなりどうなって?というかたももちろんいますが)
ずーーっとつながり続けているもの。
すべては、お味噌作りの過程にある天地返しみたいなもの。
幾星霜を経ての今。
今日は色んなことを思い出します。