ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

春節

hotomo92017-02-07

この土地名物と言っていいほどの強い東風が吹きはじめた。
春節
おばあちゃんは風の中に消えていった。


年末に脳梗塞がおこり、向かった時には山場を超え穏やかに眠っていた。呼びかけたり、少しむくんだ手を握ったり振ったりしても呼吸は落ち着いていて、静かに眠っていた。数日は大丈夫だろうと母と伯母と姉と安心して帰路に着いた。

姉から「おばあちゃんは黄色い星な感じだなと思って。調べたらやっぱり黄色い星だったよ。黄色い星は気品とか美しさなんだ。」という様なメールが翌日きた。
そう、そうなんです、私もそう思っていました、と、心で返信した。


大正生まれ、母方の祖母は一家で一番お洒落だったんじゃないかと思う。あと、めんくい。おじいちゃんはスラッと長身でいつも一眼レフカメラを片手に持って、かっこよかった。

ヘアスタイルを整える仕草とか、近所のスーパーでも、外に出る時はちょいちょいと紅をさす仕草とか、身だしなみをサッと整えている姿が自然で、つい目が止まって見ていたから、よく覚えている。

買い物は、周りに転んだら、とかの心配で止められていても、かなりしぶとく気の強い一面を取り出し、動けるのだからと歩いていた。そんな祖母に心の中で、時には表に出してグーサインを送っていた。

私のことを覚えていないことがほとんどでありながら話はつながり、どういう訳か指輪をくれた。

直前の直前まで迷っていた。
「もう、おばあちゃんにはこれだけ」と、おばあちゃんの指にくっついていた指輪を一緒に連れていった方がいいんじゃないか、おばあちゃんに戻した方がいいんじゃないかと。

その度にいつも思い出すのは、「おばあちゃんは気が強いの、強情なの」と言って懸命に、私は「もういいよ」と言ってしまいそうな程、ひたすらに指輪をはずしてくれた姿。その時の白くて淡い金色の雰囲気。
(「金色」 http://d.hatena.ne.jp/hotomo9/20160909/1473401481 )

そうして今、私のポケットの中に指輪はいつも入っている。


お通夜の日、お花屋さんを見つけ4、5本の黄色いグラデーションになるような小さな花束を作ってもらった。式場のお花屋さんはその小さな花束を棺の上に置いてくれた。祭壇のまわりには淡いピンクとかブルーヴァイオレットとかオフホワイトとかのたくさんのお花がまわりにあって、優しい色でまとめたけれど、小さくとも黄色いお花たちはどうしても目立ってしまって、微笑ましかった。

家族葬と伝えていたにも関わらず、たくさんの方が来てくれた。
おばあちゃんのご友人は高齢で来られないからその代わりに息子さんがいらして下さったりとか、お世話になったから、と、母や叔母の○十年ぶりの同級生や、記憶の中に垣間見える方などたくさんいて、おばあちゃんのとぎれなかった交友の広さを初めて知った。

手を合わせお焼香をし、会話を交わし、おばあちゃんの知らなかった姿が浮かんできて、親戚家族が相変わらず仲良しで、うずくまる気持ちもありながら明るい気持ちが育っていった。

そういう色々が充分すぎる程で、告別式は出ようと思えば出られたけれど、出なかった。



新年会をしようと約束していたのを思いだし、もう少し先かなと思いながらも候補日をいくつか上げ、友人夫婦を誘ってみたら、翌日にぴったり合った。

暖かい初春の晴れの日。
提案してくれた行き先は吾妻山公園。

入り口付近は水仙が脇道に連なって、薬草広場や子供たちが遊び回る大きな滑り台のある広場を抜け、陽当たりのいい山を、少しずつ言葉少なくなりながら登りきったその先に、見渡し切れないほどの黄色い菜の花畑が広がっていた。

水仙の香りを初めて知った。
菜の花の香りを初めて知った。
風に香りが運ばれてくると、その香りは濃くなった。

友人と、「縁側に座っているみたいだねー」と言い合うような陽の日で、膝の前には菜の花で、いつまでも座っていられた。

黄色い金色のおばあちゃんはそこにはいなかったし、すっかり頭の中にはいなかったりしたけれど、そこにいなかろうと、忘れていようと、金色の濃さはそのままだった。
ドーンと広がる富士山は、透けていてよく見えた。

その日はうっかり(?)神奈川を横断することになったりして、美味しいものをたくさん食べて、たくさん動き回った。



まだちっとも落ち着いてなんかいなくて、今も涙は出てくるし、それでも静かにおばあちゃんを思い出したりする時もあって、おばあちゃんは意識していたり無意識だったりする流れの中、穏やかに、完璧なんて無いんだろうけど、もう、すっかり完璧だったんだ、と思う。


おじいちゃんの誕生日
おじいちゃんと同い年
旧暦元旦の前日、大晦日
直後、兄と姪っ子が駆けつけた時

お医者さんが眠りを確認し、そのまま息を引きとった。


増えすぎても困ることなんてない、増えるほど軽くなる宝物がたくさん増えた。

これからも姿変え、形変え、ある時突然現れたりする宝物を持っている。それだけで充分だと、心から言えるものを抱えきれないほど、たくさんもらった。