38
敬愛する友人のちゃまが、これからは「会いたい人にいつでも会える人生になるように」と言っていたことを思い出しました。
おそらく彼女から発せられたこの言葉は、
時間やお金の自由がきいて、いつでもどこへでもフットワークの軽い人生というより、
何かしらのお務めがある中で、近しい人に何かがあった時、少し極端ではありますがその全てをキャンセル、ストップさせ、その後のあれこれは荒波にのまれながらもどうにかして乗りきります。こうあるべき、ということに挟まれて躊躇することがあっても、空想や観念の幸せだけではなく、
おいしいものはおいしい
楽しいときは楽しい
哀しいときは哀しいと
そのままの形で胸に沁み込み、共有できる方を優先しよう、そうしたい。
ということの「会いに行く」なのではないかと思っています。
私の交友関係の幅は、それはもう、びっくりするほど広くありません。それでも年を重ね、市から隣の県、さまざまな地方、海外へと友人が在り、
そういう「会いたい人に会いに行く」を叶えていけるのが、40代〜なのではないか、と思っています。そして、そのための準備を今からしているような気がします。
◇
私はセラピストでありながら、人と話す、感じていることを言葉にする、人前で話すなどなど、言葉がやってこなければどうにも話せず、独特の間がある話し方です。
ただ、このお務めを通してそこに時をかけている姿を私自身が好奇心や興味を持ち続けていて、
そういうあれこれが、友心(ともごころ)であったり親心(おやごころ)であったり、ひとりの存在している個としてやってきてくれる方々に対し、ごまかしがきかないくらい丸ごと伝わってしまうことはプロとしての喜びです。
しかも38回目ともなると、それが私の魅力でもあるんだしな、と思えるほど図々しく生きられるようになってきました。おめでたいことです。
おめでとうのお祝いが、家族、友人からあり、豊かな誕生日となりました。
たくさん
たくさん