困らなかった
つづき➡
改めて、
携帯電話はあってもなくてもいい。今まで通りスイッチをオフにして過ごしたり、持ち歩かないこともたくさんあるだろう。そして、お互いのいる場所が遠くても声が聞けるっていうのは私にとってかなり大切。
あーだこーだとくよくよしたり、へとへとで何もしたくない日でも、消えていきそうな気持ちに気付いていたい。
そのとどめておけない所に、ほんの少しでも居続けるコツのようなものがあるとすれば、それはきっと、身体を動かし、丸ごと身体をそこに運ばせること。
やってくる情報だけで納得しないで、身体を動かそう。身体を動かし、電話を見つけ、小銭を使って電話をかける日々は、新鮮さも手伝ってとても楽しかったし、持ち歩ける通信機って画期的なんだなあ。
持ち歩ける通信機がなくてもそれに代わる方法はたくさんある。それでも持つことを選ぶなら、あるのかさえ気付いていられないような大切なことを、せめて無くしてしまわないようにしよう。持っていると発生するあんなことやこんなことにやんわり引きずられていたら、身体を動かし、そこからはずれてみよう。
そんなふうに、持ち歩いていこう。
今は雪あがりの冴えた空気、くもり空。ついこの前はまだまだすぐに思い出せる天体ショーの月食だった。
携帯電話がなくても困らなかった実感ナンバーワンは、
太陽と月のご様子。
生きているかぎり、おかまいなしに陽が昇って陽が沈む。
朝がきて、夜になってまた朝がくる。
太陽があって月がある。
刻一刻と変化する様子は、そのまんま生きていることを許されている実感。
これにはどんな発見も発明もかなわないと思う。