春節 その2
「来週は−5℃とかの予報がありますよ。」なんて話をしていたあたりに、よりによって日の出をみたい、朝日を見たいと思い始めた。
1月に雪が降った次の次の日から、連日吾妻山に早朝登り朝日を浴びた。前の記事の「困らなかった」ナンバーワンはそういういきさつ。
しかもよりによって1月いっぱいは携帯電話がなくて、気温や天気もその日、その時、もしくは会話の中。
まだ暗い時間から歩きだし、山頂に着くまでの15分〜20分の間に聴こえてくるのは、鳥の声と、吐く息、吸う音、足音。
いつだったか、月のきれいな日があった。朝月夜で青が深い夜明け前は、じわじわ昇ってくる太陽と月にはさまれる。
登ってすぐに、わぁお、月がきれい、と思ったのに、しかも、湖に浮かんでいるような青い富士山とも相まって惚れぼれしていたのに、どこかで、朝日をみなきゃ、そのために起きてるんだし、と思っていて、気もそぞろ。
そしたらあっさり、「やぁやぁ、月がきれいですね!」と、通いなれた熟年男性の声が。
月に戻って月を見た。
その後は山頂をウロチョロ歩き回り、足が止まったり、深呼吸をしたりして、朝日を眺めた。
耳までジンジンして、鼻水すらあったかいと感じる朝もあれば、手袋なしでいられる朝もあった。
丸ごと生きてる身体と心になった。
今日でいったん休憩しよう。これを書きながら、おばあちゃんを思い出したから。<春節>
http://d.hatena.ne.jp/hotomo9/touch/20170207/1486470295
ブログの記事を読み返すことはめったに無いけれど、この記事だけは何度か読み返す。相変わらずメリハリは無いけど、力みのない文で、こんな風にはもう書けない。
今日で休憩しよう。それをうなずかせている気持ちは、おばあちゃんを思い出すタイミングだったから、と言うよりも、
朝日を見たいと思って、実際に身体を運ばせ、そこで起こったことの全てが私をうなずかせてくれている。
あの日からひとまわりして、おばあちゃんを思い出し、今日の今日まで培ってきたことが、ここに立つ力を与えてくれている。
どうにも気取った感じの言い回しになってしまうけれど、大抵いつもこんな話し方をしているので、おかまいなし。
今日は空まで春色のいいお天気ですね。