夢のつづき
➡つづき
昨年二宮に住まいが移り、沼代に訪れる回数が増え、秋と冬に来たことがなかったんだと、秋と冬に訪れて気付いたなあ。
11月に玉ねぎの定植をして、はじめましての人達にたくさん会った。特に障害者、不登校、ひきこもりの人達と作業をして、心がブンブン揺れ動いたなあ。今年の玉ねぎの収穫でまた会えると思うと、待ちきれない気持ちになる。
彼らとの定植作業が終わって、あれはいつだったかしら?と遡ってみたら、1週間も前でびっくりした。感覚としては2、3日前位に思っていたから、リアルで覚めない夢がずっと続いているみたいで信じられなかった。もっと言えば、寂しくなった。
沼代に行って帰ってきた後も似たような気持ちになる。本当の本当の事なのに、次の日とかその次の日位までは区別がつかなくて、よっこらせ、と気持ちを立て直す感じ。
そんな時は、ひとりが寂しくないから自然とひとりで過ごす時間が多くなったりするけれど、その辺りから人に会ったり、そのまま年末に向かっていって、ひとりの時間がほとんど無くて困っちゃったなあ。ひとりは寂しくないとか、とても寂しがりやだと思うけど。
そんなこんなで区別がつかないまま年が明け、何回か沼代へ行き、やっぱり心もとなくなったりして。まあいいや、これはこれで、と思いはじめた。
そうしてついこの前、帰ってきてまた、寂しくなったり、
しなかった。
私は突拍子もないところがあるから、ブログにアップする前は数日寝かせることがほとんど。
この、心もとなくない、寂しくない感じは気の迷いかもしれないし、一晩寝かせてもカレーとシチューのようにはなじまない、なんて、いくらでもあったし。
なのに、待てど暮らせどなじんでて、どうしよう。それはそれで、どうしよう。
何があった訳でもないのに。
やすなりさんがいて、きよこさんがいて、常駐のレッドさんがいて、はじめましてのりょうこさんとミカンの仕分けと出荷前までの作業をして。
んー、スタートが玉ねぎ小屋のトンカチ大工作業だったのはめずらしいと言ったらめずらしいけれど、驚かないし。
あとは、コタツに入ってご飯を食べて、お茶して、テレビがあった。
いたっていつもの、沼代ならではの日だった様に記憶しているのですが?
夢じゃなくなっている。
そういう事でしょうか。
それでもやっぱり、うっすらクエスチョンがあるけれど、消えていきそうだし。
何の効果なのかありすぎて、やっぱりなじみすぎてて出てこない。