ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

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hotomo92016-11-01

今朝、私は走っていました。
電車の時間に間に合うかどうか、という瀬戸際だったからです。うっかり読みかけの本を「もう少し…あと少し…」と読み進んだからのこと。仕方ありません。その責任は取りましょうと、小走りで駅へ向かうわき道を走りました。


そうこうして間もなく、時折見かける腰の丸まったおばあちゃんと遭遇。いつもの景色は、そのわき道をショッピングカートを頼りにしてゆっくりと歩いている姿。けれども今日は、5、6段ある階段をカートを持ち上げて登ろうとしている姿。私はすかさず「手伝いましょうか」と言い終わる前に両腕をのばし、カートをよいしょと引き上げていました。おばあちゃんは「あら、まあーー、わあー、ありがとう、ありがとうね」と快く私の差し出した両腕を汲み取ってくれました。


その時、『あ、電車……』とよぎらなかった訳ではありません。けれども、心が動いてしまった、一瞬でそちらを選んでいたという事情です。


この背景には、一本電車を逃すと20〜30分遅くなるけれども、どうやら今、私の周りにいてくれるほとんどの人達は「はーい、オッケー」と時の経過を合わせてくれる人達で構成されている、ということがひとつ。もうひとつは、このような降って湧いたハプニング的出来事の後は、すべてうまくいく、という、一見、何の保証もない風変わりな法則への信頼があったから。それはたいてい即、発動されるから。という、大きくまとめるとこの3つを瞬時にキャッチして、あるいは自ら発動させて、手をのばしたのです。


そうだ、こういう時は丸くおさまるから駅まで歩いて行こうと決めました。するとその通りに、少しだけ余裕すらある頃合いで駅に到着したのです。


これは、私がそうしたくてそうしたのではなく、そうさせてくれたという方が近い気がします。
私がいい人なのではなく、ましてや天のお取り計らいというものでもなく、その中身にいつもの恵みが詰まっていたから、と言う方が近い気がします。


ふつうなら、間に合っていないでしょう。いつもなら小走りを続けてもギリギリセーフの持ち時間です。しかもその時は、おばあちゃんにケガがあってはいけないと立ち止まり、ゆっくりそーっと動いていたのです。


まさにこれは、アインシュタイン相対性理論です。
この時、時というエネルギーは、物理的にもそうですよと証明されているように、ゆっくり、そーっと進んだということです。


時は普遍的なもの、共通で一定の決められた波動をもつもの。そしてエネルギーとしては、それぞれ相、対するものごとに流動し変動するもの。


一分、一秒として意識をするか
エネルギーとして意識をするか、の違いで物事は変わってきますよ、というわけです。


たったそれだけの違いは、このささいな出来事をふたまわりも、さんまわりも豊かにさせてくれました。


この理論で辿ってゆくと、これは都合よく聞こえるかもしれませんが、「もう少し…あと少し…」と読むことを止められなかった私のでこぼこな感情も、この出来事の立て役者になっているということになります。


世界中を魅了するこの理論。
私の物理学オタク魂を触発する理論のお話でした。まる。