ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

出来ないことをしたい病

hotomo92018-12-11

店舗での施術の醍醐味は、色んなタイプの、とにかく色々な意味で色んなタイプの方々を施術できること。これまでのままだったら、施術することはなかったであろうと推察できる方々を施術していること。

そうしてぐんぐん思春期の育ち盛り並みに朝からご飯を2合食べちゃう位(これは「くらい」ではなく実際にそうです。)骨の伸びがキシんでしまう位の(これも「くらい」ではなく身体年齢に対して身体か追いついていない現実の比喩です。)私にしては勢いのある、現場はこうなっているんだぞ、を、実体験中です。

そうして、そろそろ本業に舵を切っていきますよ、と思い始めた頃、銀杏の木があっという間に黄金色になりました。
通るたびに、銀杏の木の下にもぐり込むたびに、どんなにへとへとでも他界していった友人、知人、家族を思い出しては穏やかな気持ちになります。

銀杏の木に通っているうちに「ハンドリフレをどうしたいのか、これは実際に手に触れないとどうにも育ってこないので、それならこうしよう」と思いついたことがあって、でも案の定できっこないとかしばらくぐずぐずしていて。

それでも、少しずつ、こうすればいいんじゃないかしらが泡立ってきた頃に、友人Aさんのお母さんが急逝した。(頭文字がほんとうにAのAさんです。)

Aさんは以前アルバイトをしていた雑貨屋さんの社員さんで、当時何にから何までは少し大げさだけれども、手取り足取り教えてもらい、なにかと作業をしくじっては幾度もしかられ、年令は、私よりいくつ下か分からないくらい年下なんだけれども、てきぱきとしたメガネの似合う色白女子。(婚活休憩中。)辞めてからも会う機会があって、11月にも会って、お昼ごはんを食べ、たくさん話しをした。帰るころには雑貨屋さんで働いていた時のスルドイつっこみがAさんに復活していたりもした。話の中にはチラッとAさんのお母さんの話があがって、お会いしたことはないけれど、Aさんのお母さんと好みの漫画がいちいち一緒で、それだけで勝手にかなりの親近感をずっと持ち続けていた。話の最中には、いつも通り、いつ会えるかなーと思ったりしていた。

急逝したと連絡があった時にはその状況が理解できなかった。会ったその2週間後に起こることとは思えなくて、空っぽというよりは真っ白。お香典を送ったけれど、そうじゃない。したいことは、そうじゃない。ぐるぐるぐるぐるしても、真っ白だからぐるぐるしてないし浮かんでこない。他界した人にはこうですよ、ということは何ひとつ当てはまらない。どうしたもんかな、と銀杏の木の下のベンチでのびーっとして思いついたこと。「ぐずぐずしながら泡立ってきたことをする」直接は関係がないけれど、これだ、と思った。

そうしたら早かった。
こうして、あーして、ここをもう少し詰めて、その先はこうしたいけど、中間が抜け落ちているから相談しようとか。

次の日には1年に1000人です。協力して下さーい。と話していた。
本格始動はもう少し先。でも、もう始まったもおんなじ。近ごろはこのパターンばかりだ。


いつものとおり「いつ会えるかな」と思えたこと。もう今は会えなくなっていること。心の置場所とかコントロールしようもないこと。魂とか意識は、時間や空間を問わずいつでも飛び越えてくること。舵を切ってもまたくよくよしたりするんだろうけど、思いを信じるだけでなく、体感を信じて動くこと。いつものことはいつものことではなくなっていく、そういう全部でどうしたって生きていること。

これから始めることは、この銀杏の木を色んな人に見てもらう。そのためにします。

それが何になるのかとか、実現したらどうなるのか、とかのワクワクする感じは、どれほど見積もっても少しだけ。見てもらう。それで完了。それ以上でも以下でもない気持ち。手が育ってゆくのと同じ。以上でも以下でもない、なんてことのない気持ちに、ものすっごい原動力が、詰まりきらずにあふれています。

そして、何になって何が起こるのか。今はほとんど興味の向いてこないことに大抵は打ちのめされるので、どうなることでしょうか。
これは、おまかせ。

ひとりでは出来ないことをしたい。出来ないことをしたい病。

未病の段階で修正できたら良かったかも。でも、もうすでに修正の治療が出来なくて良かったな病の、はじまり。