ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

しちゃいけないこと。

誰かや何か、周りの状況や環境に影響されて、まよいにまよって、わたしがわたしの可能性をつぶしてしまうこと。これは、したくないし、しちゃいけない。それを、ずっとしていた。

わたしは、ずーーーーっと居場所を求めていた。「ここ」と感じたところがあったけれど、そこではなかった。何とかして「ここじゃない」と言い聞かせたら、「ここにあるよ」と差し出された。

思い描いていたものとは、ほんの少しずつ、積もり積もってかなり違う景色だけれど、「ここだ」と思えた。それは、その土地、その場所、誰か、ではなく、「わたし」にストンと落ちた。求めなくても「ここ」にあった。ひとりのスペースは無いし、ひとりがいいとか、ひとりでいいとかとも違う。誰かと共有している何か、でもなく、ただただ、ひたひたと、消えそうで消えない、「ここ」としか言いようのないスペース。

とは言え、まだまだしんどい。それでもかなりラクになった。

居場所があるってすごくいい。それだけで何でも出来そうな気がするし、踏ん張れる。叶えたかったことそのもの、ではなくとも、どんどんどんどん現実に反映されてゆく。何より、声も出るし、よく笑ってる。

ワクワク!のイメージ、可能性→こうしたい→こうする→そうなる。

とってもシンプル。ただ、けっして、手っ取り早くはない。

思い描いていた「ここだよ」は、探しても欲してもやって来なかった。こうありたい、というものでもなかった。これらは贈り物のようにして、いつの間にか、「やって来ている」もの。それをすっかり忘れ去っていた。

ただ、そのカケラは感じていて、やっとやっと、ほんのすこーし反映されてきてる。ほんっと、どんくさいなあと思う。(反映のわかりやすいところで言うと、太りにくくてお肉のなかなかつきにくいわたしが、たった2週間で脚と腕がムキムチになりました。あと、土地。とても手に負えそうのない、広さ。だけれどもやるしかない。そう思える気持ち。気持ちだけでは何とかならない。だから、何とかする。)

今朝は2人目のお客さんがご来園。話して話して、耕しの進みはほんのちょっぴり。それでいて、今までになかった充実。

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