ゆらぎと眠り&音空ハーブウォーター

二宮町在住。来年には➡改め、来月中にはハーブウォーターをお披露目、販売します。ゆらぎと眠りのセラピスト浅沼瞳の音空(おとそら)ハーブ畑観察日記と暮らしのブログ。

妙に。

おはようございます。
ゆらぎと眠り&天気予感士セラピスト浅沼瞳です。

これってなんだかアナウンサー気分になりますね。気分ですよ、気分。
ササッとアナウンサー気分から戻りまして、ここ数日、妙なんです。
毎日、毎回ではないのですが「いってきます」の声やわたしの状態がとにかくたんたんとしていて、いつになく生きている感じ。生きているという言葉すら重い感じ。わたしはひとり暮らしなので誰かが聞いているわけでもなく。かと言って、わたしに対して言っているわけでもなく。体がお家から外に出ますよ、の合図として「いってきます」が胸の方から、いやちょっと違いますね。場所は特定できなくて気づく前に出てきた状態。気づいていないから過去形になる。気づいていない贈り物?気づいていないから妙に感情も静か。うーん、これがいったいなんなのか。まだまだあやふや。じわーっではなく、さらーっと。もう出かけなくちゃという声はさらーっとに満たされていて動けなくなります。
「ただいま」もそう。習慣でもなく日常でもなくおかえりを期待するものでもなく、ぽそっと。「いってきまーす」や「ただいまー!」を否定しているのではありません。逆でもないしどちらが表でも裏でもありません。合ってるも間違ってるもありません。そこははっきりしています。ぽそっと「ただいま」の声を聞いた後、そのまま力が抜けて玄関に座り込み、安堵や安心でもなく、動けなくなります。力が抜けてと書いたけれど脱力でもなく虚しさでももちろんなく、ぽん。こういう生きるがあるんだなあ。こういう日はおやすみ3秒ではないし音叉をあてていても寝落ちをしません。すーっと眠りについていて朝はサッと起きれる。波に乗っているというよりは、風に運ばれてる感じ。こういういつもなら、今までであれば通りすぎていってしまうその状態にいるって、ぜいたく。と書いておきながら「わたしの器はゴマ粒より小さい」としょんぼり歩いたりもしていました。


昨日の夕ごはん。
ごはんの盛り方がもりもりで思わず撮ってしまいました。「まだ盛るの✨」って言いながら盛っていました。おかずは最近はまっている、青菜と厚切りベーコン炒め酒蒸し風。味付けはベーコンに塩気があるのでコショウだけで充分。おかず、ごはん、おかずおかずおかずおかず、ごはん。おかずばかりススムおいしさ💕

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